お茶碗との出会い

昨日は、久しぶりに先生と一対一でお茶のお稽古をしていただきました。
普段のお稽古ももちろんありがたい時間ですが、先生と向き合いながら、ひとつひとつの所作や道具の扱いを丁寧に学ばせていただく時間は、何とも贅沢で、背筋が伸びるような思いになります。
今回は、少し特別なお稽古となりました。
以前から先生には、よいお茶碗との出会いがあれば教えてくださいとお願いしていたのですが、ご縁があり、萩焼、大朏焼、唐津焼の三椀を手にする機会をいただきました。
これまで、焼き物に対して特別深い知識があったわけではありません。
ただ、実際に手に取り、その重みや質感、肌合い、色の深さを見ていると、言葉ではうまく表せない魅力を感じました。

そして昨日のお稽古では、そのうちの二椀を使わせていただくことに。
濃茶では萩焼のお茶碗を。
薄茶では大朏焼のお茶碗を。
自分で手にしたお茶碗でお稽古をさせていただくというのは、想像以上に感慨深いものでした。

お茶碗を手に取る時の緊張感。
お茶を点てる時の集中。
そして、その器を通していただく一服のありがたさ。
同じお点前でも、道具が変わることで、こちらの心持ちまで変わるのだと感じました。
「一楽、二萩、三唐津」という言葉がありますが、今回のご縁を通して、焼き物の世界の奥深さに少し触れたような気がします。
これまでは、茶道のお稽古というと、所作や流れを覚えることに意識が向きがちでした。
もちろんそれも大切ですが、道具にはそれぞれに表情があり、歴史があり、つくり手の想いがある。
お茶碗ひとつを見ても、形、釉薬、土の風合い、手に持った時の感覚、そのすべてが異なります。

今回の三椀も、それぞれに個性があり、眺めているだけでも惹き込まれるものがあります。派手さではなく、静かに語りかけてくるような存在感。
そこに、焼き物の魅力があるのかもしれません。
そして、いつかこのお茶碗で、大切な人をおもてなしできたらと思いました。
ただ所有するための道具ではなく、誰かを想い、一服のお茶を差し上げるための道具。
そう考えると、お茶碗との出会いもまた、茶道の学びの一部なのだと感じます。
今回のお稽古をきっかけに、焼き物についても少しずつ学びを深めていきたいと思います。

お茶を学ぶということは、所作だけでなく、道具、季節、空間、そして人を想う心を学ぶこと。
またひとつ、お茶の奥深さを感じるありがたい時間となりました。